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★愛に還る(目覚める為の)「こだまなくらし」BBS★ サイト・動画・ブログを見て聞いてください 覚醒が目的のシェアリングの場です


あーまいった、まいった

1:まきえ :

2012/08/08 (Wed) 22:12:42

たまたま・・・、ではないのでしょうが、
たまたま、ユーチューブでアップされていたメッセージが、
ドンピシャだったので、
その時抱えていた問題を、思わずこだまさんにメールしたのが1ヶ月前。
それ以来、黙って、ここへ来てました。
シェアリング、という方法は、
現実的解決につながらない、愚痴を言うだけ、ストレスを発散するだけの、
弱い者がすることかと、思っていました。
ただ、この一ヶ月、ちょっと覚えましたね、
愛に還すこと、感情を手放すこと、ゲーム感覚。
まだ、トラップが丁寧にアチラこちらに仕掛けてあり、
おっと、危ない、カンフル剤、カンフル剤と一人前ではありませんが。
それで、シェアリングという方法が、
さらに、一人前になる為には、使えるんじゃない、と
勇気を出して声をだしてみました。

さて、こだまさんに以前送ったメールは、
結局、今まで何ども繰り返してきた問題で、
過去において、しっかりそれに向き合わなかったため、
形を変えて、場所を変え、相手を変え、何ども何ども出てきたことです。
その度に私は、引きこもり、或いは旅に出、自分を傷つけ、相手も傷つけ、
異性やアルコールや労働や社会運動や、いろーんなものに依存してきました。
そして、それに疲れ、体や精神を壊し、でも、年の功で、騙し騙しどうにか
今まで生きてきました。よく生きてこられました。
それで、表向きには社会生活をこなしてきましたが、
それでも、向かい合わなかった問題は、まだ保留のままで、
何かが、その部分にツッコミを入れると、ダースベーダー化し、
それはそれは、ボロボロになるのでした。

その「向かい合わなかった問題」とは、実に青臭いのですが
この年(たまえさんと同じぐらい)になっても「自己が肯定できないこと」です。
このことが自分が欠陥商品のように、感じるのです。
何をしても、どれだけしても、不安。
何を言われても、どれだけ確認しても、懐疑。
そして、その不安と懐疑のため、理性が保てなくなり、
嫉妬や執着や依存を招く。そして、それはいつも叶わぬから、破壊してしまう。
何ということでしょう!です。
積み木をつんでは壊し、また積んで壊し、
周りを羨んで、妬んで、
ちょっと追いつこう、私だって、なんて思って
やってみるけど、また嫌になって、また壊し。
バラバラの破片が、ただ散乱しているのを、放心状態で見つめている・・・
ああ、見つめてもいない、目をつぶっている。どうにでもなれ!と放棄してる。
何ということでしょう!もったいないことです。

「自己が肯定できない」こと。
うちなる神である自分、を確かめることをしてこなかった。
何が好きで、何が心地よくて、何が楽しいのか、わからない。
自分より前に、周りが、社会が、あの人が、がくる。
それは、周りのためでも、社会のためでも、あの人のためでもなかった。
私のした努力や苦労はきっと報われずはず。
こんだけ、頑張ったのだから、何かご褒美が貰えるはず。
その下心のためでした。
だから、それがもらえなかった時の、情けなさ、失望感、喪失感。
外から、貰えるものだと思っていましたから。

今の私の置かれている状況は、
まず、好きな人の介護をしています。かなり、献身的に。
そして、好きな人は、難病で死と隣り合わせです。だから、私もかなり献身的です。
だから、きっと二人で手を取り合って、この困難を乗り越えていきましょう。
でも、好きな人には、実は長年、私に隠していた好きな人がいることが発覚。
命が限られているから、その好きな人を時々病床に呼びたいと。は?
これは、何。私の献身犠牲は!騙された!情けない!悲しい!悔しい!
まさにダースベーダー。
で、どうにかこうにか、愛を還すワークなどで、落ち着いてきているところです。

好きな人、というのは、私を好きでいてくれたから好きだったのか。
それなら、
私は、またいつもの悪い癖で、見返りの下心ありで、介護してたなと。

でも、実際は、死を前にする生ほど輝いているものはありません。
まさに、自分の生を生きてる、そんなその人の姿を、側にいて見ていたい。
精一杯、生きているその生を感じたい。
自己を肯定できず、自分の生を生きることを始められない私が、
この体験を通して、
自分の生を生きるという目的を思い出すことも、出来るはず。
このタイミングで、
この人と出会うこと、そしてややこしいシュチュエーションにしたのは
もう、死という究極のものを見せないと、しゃあないな、ということなのでしょう。
好きな人も、その好きな人の好きな人も、
こだまさんの言うように、自分のために自分の用意した協力者でしょう。

うちなる神、
ちょっとこれは照れくさいので、なんとか私なりのネーミングを考えたいですが。
その姿が見え出すと、自己を肯定する、とか朝飯まえですよね。
この場で、シェアリングという方法で、そのあたりまで、
確たるものにしたい、と思ったのですが。
ここまで書いて、これだけでもよかったかなと。
これは、自分とうちなる神とのシェアリングだったか。
あーまいった、まいった。
2:たまえ :

2012/08/08 (Wed) 23:19:48

まきえさん

同世代のたまえです(笑)
(。・ω・)ノ゙ コンバンゎ♪
初めまして!!
お話聞かせてくれて有難う御座います^^
書くと自分の為に、そして皆の為になりますから!
書いてくれて嬉しいですよ本当に☆
こだまさんは凄く喜んでくれてるから^^


おっしゃる通り
自己を肯定する、は朝飯前(笑)
てか、誰でも簡単に出来るからね。
まきえさんも本当は楽々出来るよ^^
ただ「出来ない」と決めてるだけかと。
少しずつ自分なりに「抵抗」をなくしていければ
それで良いと思うのです。
焦らずやっていこうよ、みんな同じだから。
私もすぐダースベイダーになっちゃう仲間ですからね(笑)
気持ち良く解る。
読んでくれてる多くの人も皆同じだと思う。

愛憎のもつれ話・・・
いつか私も書こうと思ってた矢先に
まきえさんが現れた(笑)
こりゃ私の愛憎のもつれ話も
披露する時期がキタっちゅー事かな(笑)

詳細書くと長くなるから簡単に話すね^^;
私の場合、
私を捨て他の女に走った元旦那と相手の女への恨みに15年以上費やした。
持ち続けようと思ったら何年でも恨みは持ち続けられる。
しかしながら、手放そうと決めたら1秒で手放せた。
そんなもんさ〜(笑)

まきえさんのおっしゃる「ややこしいシュチュエーション」が
ややこしくないように思える時は来ると信じます。

また書かせてもらいますね〜
まきえさんのお話もまた聞かせて下さい!
3:こだま :

2012/08/09 (Thu) 08:49:42

まきえさん、BBSに参加してくださいまして本当にありがとうございます。
うちなる神のネーミング・・・色々あるでしょうが、
内も外もなく丸ごと神っていう「捉え方」もあるのではないかと感じました。

いま、「やまびこくん」に聞いたら、
内成る神・・・は、「ザイオン・・・在ON」

・・・でも全てが「在ON」・・・それは「ただ在る」がON状態
(これってマトリックス見てないとわからないかも)

「在ONよー!!!聞いてくれ」
Zion, Hear me !
「我々は生きている!!!」・・・これは
Be Here Now.・・・今ここにいる・・・・とも言える

いまこそ、すべて
過去はかつて見た夢、未来の不安も自分が創っている幻想

そして、更に「ZAION」は
「Z」から「A」までを・・・(これはコペルニクス的転回をする・すべてはあべこべ)
「I・愛」で・・・「ON」にする
・・・だそうです。

私の場合はですが・・・何であれ、そう思えなくても子供心で「ただ・・・決める」・・・
そして「執着」と「抵抗」を感じたら、何度でも何度でも変容し続ける、
そして、自分なりの「神で生きる」
そして・・・いまもそうやリ続けているだけです。

それが、私の場合の「自分が神である」と感じるコツだった、
それ以外にも方法はあるのかもしれないけれど、
「サークル」というわたしの中の目覚めている部分からそうヒビキ続けてきたので、
ただ・・・そうしているだけです。

だから「こだまなくらし」は単にわたしの方法を書いているだけで
(何故なら、わたしは私の感じ方しか出来ないので・・・)
みんなにも使えるかもと思って配信しているに過ぎず、
使えるかどうかは、やって見ていただくしかない・・・あるいは
参考にして他の方法を個人的に編み出していただくことです。

ですから、「神と決める」他にも、こんな風にして「何かを決められた」・・・という人がもしもいたら、
そのやり方をぜひとも聞かせて欲しいナと思っています。
4:やっほー :

2012/08/09 (Thu) 08:53:41

わたしが決めた方法・・・それは
同一人物だから

この世の全ては個人的見解・・・
でもよくよく観察してゆくと、みんな何を目指しているかというと
・・・常に一体感・・・そして愛なる行動しかできない

ならば・・・この世にいる生命体すべては同一人物でしか在り得ない
そして、神と証するものもそういう存在
ならば自分こそが神だ・・・ということになる

やっているところ・・・言ってるところ・・・目指すところと・・・は常なる拡大成長
全部同じ・・・あまねく全部がそうに違いない
ならば・・・分離など無い
同一で在って・・・分かれてもいない・・・べったべただ、

個たる自分は全体で・・・全体たる自分は個だ
それ以外には在り得ない
という論理的帰結で「神だ」と「決めた」
5:たまえ :

2012/08/09 (Thu) 10:04:27

「在ON」!!!!!!!!

これ最高だわ〜
やまびさん天才!!

>「ZAION」は
>「Z」から「A」までを・・・(これはコペルニクス的転回をする・すべてはあべこべ)
>「I・愛」で・・・「ON」にする

これもスゲーーーー!!!!
感動した!!!!!!!!


>「在ONよー!!!聞いてくれ」
>Zion, Hear me !
>「我々は生きている!!!」・・・これは
>Be Here Now.・・・今ここにいる・・・・とも言える

このシーンいつも泣けるんだよね私><
そんでその後のダンスシーンが最高〜
エロイけど(笑)
セックスとダンスは同じだなと思ったね。
ダンスって音楽との完璧な統合感だと私は思ってる。
自分の体が「音」そのものになった瞬間を知ると
たまらないエクスタシーを感じる。
だから私は自分をダンサーだと思ってる。
常にどこにでも音楽は溢れてる。
自分のカラダだと心臓の鼓動だったり。
外には鳥のさえずりや
車のクラクション。
街の音。
それに自分でグラスに水を注ぐ音も音楽だと思う。
洗濯機が回る音もね。
みんなみんな音楽の中で暮らしてる。
だから耳を澄まして身体を心地よくゆらす。
その一体感を楽しむダンスで「私は神だ」と感じる。
ただ生きてる
それがダンスだと思えるんだわ。

振り付けなんて要らない。
心のダンスはいつでもどこでも自由。
耳を澄まして
何も聞こえないなら自分の心の中で好きな音楽をかける。
心地よい音が聞こえてきたら
それがダンスの始まり。

こだまさんの朗読を聞く
というのも私の中ではダンスなのです(笑)
いつも素敵な音楽を有難う〜
6:たまえ :

2012/08/09 (Thu) 10:45:20

肝心な事書くの忘れました(笑)

なんでダンスの話したかと言うと
自分を肯定する=神と思う
がダンスに似ているからなんです。

ダンサーは素晴らしい踊りを皆に披露してくれて
確かにそれを見た人を喜ばせる事も出来る。
だけどダンスの本当の「素晴らしさ」は踊る事で得る「喜び」。
その「喜び」をダンサーは表現するけど
見てる人にはその「喜び」は伝わらない。
なぜなら見てるその人が踊らないと「踊る喜び」を
感じる事は出来ないから。
踊ってみないと踊る喜びは得られない。
見てるだけじゃ絶対に「踊る喜び」は感じられない。
だからまずは踊ってみて欲しい。
何でも良いから。
簡単に出来る踊りで良い。
盆踊りとかマイムマイムで良い(笑)
そんな感じなのよね。

自分を神と感じるのは
「あなたは神です」
と何度言われようと自分がそう感じなければ
そうは思えない。
これはダンスの喜びを知る事に似ている
そう私は感じました。

なんとなく関係ない方向に話がいってしまって
修正しました(笑)
7:白井亨 :

2012/08/10 (Fri) 15:06:46

はじめましてでございます。
白井亨と申します。
こだまなくらしサークルのみなさまの真理に触れ、こころから感銘を受けたものです。

我々が神である、という証左(しるし)はいつも体験している、コレにあります。
パラドクスという現象であります。
金に執着すると→手から零れ落ちる、とか、
守ろう、維持しよう、とすると→分散してしまう、とかの、逆現象です。
これは神がアベコベ視点を採用したときにだけ見えてくる現象でありまして、
様々なパラドクスを仔細に見ると、我々の原因(根底存在)が神であることが解ります。

されどこれは知性的に理解したものであり、それでも良いのですが、キモは実感、体感
でしかなく、それらを実感、体感するためのツールは「付け加えたものを手放す」だけです。
神は神になることは出来ません。ただ神であることを知るのみですね。
故に私は神であると言い続ける必要もなく、ただ神としてある、という、単純すぎて見えない
構図になっているわけです。
8:こだま :

2012/08/10 (Fri) 18:00:41

白井亨さん、書き込みありがとうございます。とても嬉しいです。

>神は神になることは出来ません。ただ神であることを知るのみ

全くその通りと膝を打つ想いです。

さて、始めの「まきえさん」の書き込みから、
少しわたしがずらしてしまったのかもしれませんが、
自分を肯定すること(愛すること)に関しては、私の場合はですが・・・
やはり「ただ・・・手放して」いったら、いつの間にかそうなっていたのですが
皆さんはどうやって自分自身を愛するように成ったのでしょうか?

この「自分をありのままで愛する」ことは、
サークルからは以前シークレットという内容で来ていて、
神自覚にとって大切だと感じます。
http://mizuetenji.web.fc2.com/b24.htm

一番目の「ザ・シークレット」は「三つの弱点」
二番目の「ザ・シークレット」は「無条件」
三番目の「ザ・シークレット」は「完全なる自己愛」
超シークレットは「決めること」

もちろんコトバによる無限の中のイミ付けです。
この「完全なる自己愛」について、お聞かせ下さい。




9:まきえ :

2012/08/11 (Sat) 00:33:44

ぽーんと投げかけたら、
あちらこちらから、キョウメイするんですね。
話すことは、まさに放すことで、
そしたら、ヒビキが感じられました。素直に嬉しい。

「ただ在る」ことに慣れること、かな。
私が、こだまさんを聞き始めて意識して、していることは。
(あとは、足のマッサージと、ナスのにんにく醤油もよくやります)
何かをしていなければ、居心地が悪いというか、間が悪いというか。
その、ソワソワした感じをやりすごすのが、精一杯。
「あー今、私は焦っている」
「あー今、私は怒っている」
「あー今、私は嫉妬している」
そういうふうに感じている私が「在る」ことを感じる。
フー、とひと呼吸ついて、うまく上手に感情を手放し、
「在る」ことに腰を据えないと、感情にもっていかれてしまう。

「ただ在る」が、しっかり座っていないから、
「する」が先行して、「在る」と「する」が分離状態のまま、
気がつけば、時間に追い立てられている。
 
「うちなる神」というのは、
きっと、「ただ在る」、という状態のことなのかな。

今は、まだ意識して、
はいっ、感じて、深呼吸して、手放して、
はいっ、意識も開放、「ただ在る」を感じる・・・どうだ?
なんて、号令かけてやってますけど、
こんなんでも時々は「うちなる神」状態に、なっているのでしょう。
なんとも、踏ん切りの悪いところですが。

愛する、という表現も、こそばいのですが、
「ただ在る」状態になれば、自分も他人も境界がなくなるのでしょうし、
そうなったら、愛以外なくない?
という、ところです。
10:こだま :

2012/08/11 (Sat) 07:37:02

>話すことは放すこと
・・・これすごいです・・・だじゃれ・コトバ繋がり・・・シンクロ
何とでも言えますが、これが結構真理だったりします。

>そうなったら、愛以外なくない?
>という、ところです。

やあやあ、まさに「すでに全てを知っている」存在じゃあないですか。
まさに、そんな「感じ」です。

さて、実は、今朝やって来たものを、今これから書く予定です。
言語化できたら、アップしますが

「感じ」にだけ気付け!夢の中で「考え」るな!

・・・って、始まりと結論がこれです。
皆さんの書きこみが、この「ヒビキ」になりました。

11:たまえ :

2012/08/12 (Sun) 00:24:50

>>白井亨さん、初めまして!

>神は神になることは出来ません。ただ神であることを知るのみ

私もこだまさん同様、全くその通りと膝を打ちました!
その逆の
「神を止める事は絶対に誰にも出来ません」
と思った事がありました。
「ただ神である」
としか言い様がないですよね〜
全く同感です^^


>>こだまさん

>自分を肯定すること(愛すること)に関しては、私の場合はですが・・・
>やはり「ただ・・・手放して」いったら、いつの間にかそうなっていたのですが
>皆さんはどうやって自分自身を愛するように成ったのでしょうか?

私の場合
いきなり「自分を全部肯定して良いんだよ」と知り
それになりきれない自分にもがき苦しみつつ
やはりこだまさんと同じく手放し続け、又愛に還していきました。
そして
「嫌いな人(自分が否定してる人)」と「好きな人(自分が肯定してる人)」
とは何か?を考えてみました。
すると実際は「嫌いな人」など居ない事に気づきました。
「嫌いな行為」があっただけで、人(誰か)を嫌いなわけじゃなかった。
例えば
「あの人の事、基本的には好きなんだけど、どうもココが好きじゃない」
「あの人嫌いだけど、こういう部分は好きなんだよね」
とかがありましてね。
「好き」と「嫌い」は実は曖昧なんだなと気がついたんです。
どんなに大好きな人とでも波長(波動)が合わない瞬間はあります。
それは当然で、自分が常に変化してるから。
そうなんです。
実は「好き」に「波動」が同じかどうかはあまり関係なかった。
あの人が「好き」かどうかはただ決めてるだけだった。
「嫌い」も同じ、ただ決めてただけだった。
先程述べました通り、「好き」な人とでも自分の波動と相手の波動の変化で
どうしても合わない時がある。
そんな時「好き」な人が「嫌い」になるかというと
そんな事はない。
やっぱりどんなに波動が合わなくても「好き」なんだよね。
「ただ好き」としか言えない。「好き」に説明が出来ないんです。
だから波動は「好き」と関係ないんだなと思ったの。
それが解ったら、自分以外の人にそうなら自分にも同じだろなと気がついたの。
それで
「理屈は抜きにして自分の事を全部そのままで好き(愛する・肯定する)と決めよう」
と思ったんです。
それで「自分を好き(愛する・肯定する)」と決めてからは
どんなに嫌〜な部分を自分に発見しようとも
「そこも好き。だって好きって決めたから」
という感じでダメだダメだと思ってた部分も含めて
愛せるようになりました。
そんな感じです〜


>>まきえさん

>話すことは放すこと

私もこれナイス!って思いました〜


>そうなったら、愛以外なくない?
>という、ところです。

こだまさんと同じく
まきえさん、もう「すでに全てを知っている」じゃないですか(笑)
そうですよ
宇宙には愛しかないんですから^^
まきえさんは愛そのものです。
12:こだま&サークル :

2012/08/12 (Sun) 08:30:35

たまえさん、ありがとう
聞けてすごく良かった
超シークレット「ただ・・・決めること」をやってたんですね!

今までは、みんな無イシキに「いやだな」って決めていた
それをイシキ的になって、「愛する」ってただ・・・決めた
そしたら「愛するように成った」

これ、結構すごいことです・・・
全部そうって言われてたのに、私もよく気付いていなかった
見えていなかった

ほーらね、何でも全ては「ただ・・・決める」ことだよ
そう内成る「サークルのヒビキ」が言ってる
悔しいけど(可笑しくもあるけど)また驚かされました。

超シークレット「たーだ・・・決めること」
「きーめたっ」・・・と「たーだ・・・決めること」
全ては実はすでにそうやってたことに気付くこと
だから抵抗しないで、自分がラクになることを
「たーだ・・・決めること」

「神で在ること」も「自分を無条件に愛する」ことも
「たーだ、決めること」byサークル




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